NOU BLOG

2018/10/19 9:13

蔵前の星!

2カ月間もアップしませんでした・・。
忙しかったのは事実ですが・・怠けすぎですね。

8月月末からは、全国県議会野球大会(水戸)参加、私の後援会総会開催、新潟県議団による東アジア視察に参加(香港、タイです)、9月県議会で一般質問と、今まででも第一級の忙しさでした。
当然、ブログネタはたくさんあったのですが・・今後紹介できる機会があれば・・と思っています。

さてさて、元横綱輪島さんが亡くなりました。心よりお悔やみ申し上げます。
まだ70歳で若いのに・・残念です。

この人が角界入りした頃の事はよく覚えています。学生相撲も華やかでしたね。
王者日大からは現理事長の田中英寿さんに続く大物でした。その後も大相撲を経てプロレス入りした石川選手なども出ていた頃です。
輪島と同期に新潟県新発田出身の長浜選手(後の2代目豊山)がいたので、よくライバルと言われていました。入門したての頃は長浜が勝ったこともありましたが(たしか十両時代)その後は水を開けられました。

輪島は華やかでスター性がありました。先日、北の富士さんも「華があった」と言っていましたが、その通りです。貴乃花とのライバル関係、蔵前の星などど言われ、髷を結えない頃はパーマをかけて土俵に上がるなど、多少物議をかもしながらも、話題には事欠かない人でしたね。

相撲はよく言われる「黄金の左」からの下手投げ。
しかしこれもよく言われますが、その前提の右のおっつけが強かったですね。解説の神風さんもそれをよく指摘していました。誰との取り組みか忘れましたが、右で絞りながら寄っていって、残すところを左下手投げで仕留めた相撲がありました。うまいものだな・・と未だにその相撲を覚えています。
あと、寄っていくときの腰の構えが絶品でした。そういうところを指して「相撲の天才」と呼ばれたのかもしれない・・と素人ながらに思います。

もう一つ印象に残っているのは、横綱北の富士が番付を上げてきていた頃の北の湖のことをインタビューで。「強くなった、もう少ししたら輪島もそうはいかなくなるだろう・・」と語っていたのを覚えています。いわゆる輪湖時代の到来ですが、北の湖という強いライバルがありながら14回も優勝したのは見事!

ついでに、もう一つ印象に残っていること・・・。体形について、これも神風さんが、「輪島は体に厚みがないが、肩幅が広くてそれをカバーしている」という解説していたのも覚えています。その通りでしたね。力士というより格闘家という雰囲気もありました。

ところで・・・私が大学に入学しすぐの頃、地下鉄の新玉川線が開通し、二子玉川の高島屋がオープンしてだったのですが、ある日、そこので輪島と貴乃花のトークショーが開催され、もちろん観に行きました。
どのくらいの番付だったのだろう・・・42年前のことですが・・。

当方が若かったせいか、他のスポーツが今ほどなかったせいか、世相なのか・・・相撲自体が華やかな時代でした。一つの時代が終わったのかと思わせられますね・・。